25年が過ぎて見つけた25の話 ~特別編~

interview

能舞台・鏡板の製作エピソード

2024年から始めたこの連載ですが、今回から特別編としていくつかエピソードをご紹介していきます。私もりゅーとぴあ職員も知らない物語探しはこれからも続けていきます。この度、りゅーとぴあ能楽堂の鏡板の絵の作者である日本画家・手塚雄二さんにお話しを伺うことができました。最近の作品では、寛永寺(東京都)の天井絵「叡嶽双龍」(えいがく そうりゅう)が一般公開されていることが話題になっています。東京で桜が咲き始めた3月某日にお話を伺ってきました。


――鏡板の製作を依頼されたとき、建築家・長谷川逸子さんとはどんな打ち合わせをしましたか?
材料について長谷川事務所のスタッフと打ち合わせをしました。経年で縮んだり割れたりしないようにベニアの上に薄いヒノキを貼った板としました。長谷川逸子さんとは一緒に能楽堂を見学に行きました。そのときに能楽研究の第一人者である、当時東京大学の松岡心平さんと会ってお話をして「お能を観てください」と言われたので観に行ったことを覚えています。絵が完成して松岡さんに見ていただき、お墨付きをいただいた上で能楽堂に設置しました。

――製作にかかった期間はどれくらいでしたか?
最初に10分の1の大きさの小下図を1ヶ月かけて描き、大下図も1ヶ月かかりました。そして本画が2ヶ月くらいで合わせると4〜5ヶ月かかりました。

――どこで描いたのですか?
私のアトリエで描きました。その前年に建てたアトリエは、幅5.8m、高さ2.6mの鏡板がちょうど入る大きさだったのです。

――どんな苦労がありましたか?
日本画は紙に書きますから、板に絵を描くのは初めてでした。しっかり絵の具がのるか、滲んだり落ちたりしないかを心配しました。大学の同期の馬場良治さんは平等院鳳凰堂の絵など文化財を修復する第一人者で、のちに人間国宝になられた方ですが、当時馬場さんと一緒に仕事をしてノウハウを持っていた私の大学の後輩に、板に描く前の工程を手伝ってもらいました。


――それはどのような工程ですか?
最初、板ににじみ止めを塗りますが、その加減を誤ると絵の具を弾いてしまったり、または滲んでしまったりするのです。


老松の解説


製作に取り掛かる際に思ったのは、後世にまで残る絵なので、「きちんとした作品にしよう」ということです。


構図について


依頼を受けたときに他の能舞台を見ました。形に決まりがあるようですが、決まりに関する記録は残っていなかったのです。その中で、故 前田青邨先生(昭和を代表する日本画家)の鏡板は良いと思いました。バランスの良い構図となるように松の葉の配置を考えました。


絵の具について


幹は代赭(たいしゃ)という茶色で、枝には金泥(きんでい)を使ってます。パッとかぶせたりして色をつけており手間のかかる作業です。
葉は松葉緑青(まつばろくしょう)で、天然の孔雀石から作られる絵の具です。

15段階の粗さのうち、緑青は9番なのでだいたい真ん中くらいです。世界で最も美しい緑と言われています。
緑青からさらに加工して白緑(びゃくろく)という色ができます。一つの素材からいくつもの色が作られるのが日本画の絵の具の特徴です。

・写真右 緑青

・左 白緑

(触らせていただきましたが砂のような感じです。すごく細かくサラサラしています。)

 

安価な絵の具を使うと色が褪せたり落ちたりしますので、最高品質の絵の具を使いました。宝石で絵を描いたようなもので、素材の持つ美しさがこの作品の画品(がひん。画の品質のこと)に表れています。ですから、今でも新しい感じが残っていると思うのですが・・・


――数日前に鏡板を写真に撮ってきました。ご覧いただけますか。
ああ、これはすごい・・・美しい!全然色が褪せていない。今でも真新しい感じです。これならあと500年は大丈夫ですよ!

 

このあと、寛永寺の天井絵のお話も伺いました。板に絵を描いたのは、りゅーとぴあの鏡板と寛永寺の天井絵の2作品のみとのことです。とても貴重なお話を聞くことができました。

 


手塚雄二さん
東京藝術大学名誉教授

手塚さんのホームページに寛永寺の天井絵のことが掲載されています。

 

 

<< 特別編 >>

 

 

「インタビュー」の記事

「インタビュー」記事一覧を見る