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Special interview 三浦一馬さん vol.1 – バンドネオンとの出逢い。それは、定められた運命だったのかも知れない

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(C)井村重人

Special interview 三浦一馬さん vol.1

日本を代表するバンドネオン奏者 三浦一馬さんが、ピアソラを演奏するために結成した夢のオーケストラ「東京グランド・ソロイスツ」を率いて新潟にやってきます。りゅーとぴあでは三浦さんにロングインタビューを敢行。今回から全3回にわたってお届けしていきます。

《バンドネオンとの出逢い。それは、定められた運命だったのかも知れない》

―― 三浦さん、今日はよろしくお願いします。まずは幼い頃のお話しを聞かせてもらえますか。

三浦さん 幼少期は、いわゆる「音楽一家」と呼ばれるような家庭で育ちました。両親は共にピアニストですし、家の中でも常に何かしらの音楽がオーディオで掛かっていました。ジャンルは様々。ショパン、プロコフィエフ、ガーシュウィン、オスカー・ピーターソン…etc.
両親が弾くピアノの下に潜って、その演奏をごく自然なものとして聴いていたのをよく記憶しています。

 

―― バンドネオンに出逢ったのもその頃?

三浦さん はい。僕が10歳のとき(小学校4年生/2000年頃)、NHKの「N響アワー(池辺晋一郎、壇ふみ両氏が司会)」を家族とリビングで見ていたのですが、その時はじめてバンドネオンという楽器を知りました。番組は毎回欠かさず見ていた訳ではないので、これもひとつの運命のような気がしています。

ちょうどピアソラ・ブームが巻き起こった直後のことで、この日の放送ではピアソラ・タンゴ特集の回として、小松亮太さんがゲスト出演されていました。ブエノスアイレスの街並みにはじまり、そこで愛されるタンゴ、またN響が演奏するコンチェルトなど…はじめて見聴きする僕には、そのどれもが衝撃的に感じたものです。

 

―― ピアソラの音楽だけでなく、その背景や世界観にも魅せられたのですね。

三浦さん 当時の僕は、自分用のVHS(時代を感じますね笑)を持っていたので、番組の冒頭から「これは絶対録画しておいた方が良い気がする」と直感めいたものを感じ、自分の部屋から急いでVHSを持ってきて、すぐさま番組の録画をしました。

初めて目の当たりにしたタンゴ、特に“ピアソラ”という音楽は、自分でも驚くほど心の奥底まで訴えかけてくる音楽であったと同時に、子どもながら漠然と憧れていた「大人の世界」のようなものも初めて具体的に僕の前に示してくれた…そんな気がしました。それから毎日のように録画したVHSを見返しては、いつしか僕自身も「バンドネオンを弾いてみたい…!」と思うようになっていきました。

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三浦さんは小学校までイタリアのフィレンツェで育った。

 

《大きな段ボールで梱包された楽器が届いて、怒涛のレッスンが始まった》

 

―― とはいえバンドネオンという楽器は、簡単に手に入るようなものでもありません。

三浦さん 両親にも相談し、考え抜いた末、実際にTVでバンドネオンを演奏されていた小松亮太さんのライヴへと出掛けてみることにしました。TVを見てから半年ほど経った日のことです。小松さんのインストア・イベントが銀座のヤマハで開催されるということで、その日は早くから会場の最前列を陣取り、初めての生バンドネオンに接することができたのです。

半年間、画面を通してバンドネオンを毎日見てきたつもりでしたが、やはり本物を見た衝撃は凄まじいものがありました。その音圧や、音以外の(蛇腹等から発せられる)ノイズも含め、「本物のバンドネオン」にますます興奮した思い出があります。

 

―― 三浦少年の興奮が伝わってきます。

三浦さん イベントの最後にサイン会が行われ、僕は1番先頭に並んでいました。緊張のあまり、ほとんど何を話したか覚えてはいないのですが…とりあえず「自分もバンドネオンを弾いてみたい」ということを必死にお伝えしたことは覚えています。

それを聞いた小松さんは、「…マジで??」といった感じ。でもその数日後、我が家に大きな段ボールで梱包されたバンドネオンを送ってくださったのです。それを思うと、今の自分に果たして同じ事ができるだろうかと、今でも感謝の気持ちを抱かずにはいられません。そうして、学校終わりに片道2時間をかけて、怒濤のレッスンが始まりました。

 

―― 最初のお師匠ですね。今の師、ネストル・マルコーニさんとはどうやって?

三浦さん 小松さんの厳しいレッスンに耐えて(笑)6年が経った頃、僕は高校入学のタイミングでした(2006年、16歳)。この年、マルコーニさんとの出逢いが訪れます。

バンドネオンを勉強して行く中で、どうしても憧れずにはいられない存在だったネストル・マルコーニ。彼はピアソラより20年ほど下の世代のバンドネオン奏者で、現在では世界最高峰のバンドネオン奏者としても知られています。僕が、マルコーニさんに特別憧れた理由は、なんと言ってもその「格好よすぎる演奏」と、多彩なマルチ活動にあります。

「格好よすぎる」を補足しますと、「一見クールでありながら、実は、びっくりする程ハイレベルなことを涼しい顔して弾ききってしまうところ」、とでも言いましょうか。多くのバンドネオン奏者に「肉食系」を感じる中、マルコーニさんは全く真逆なのです。洗練、クール、都会的。そのような言葉こそがぴったり合うような、更にモダンな印象を受けたのでした。

演奏をよくよく聴くと「どうしてそんなことがサラっと弾けるの?」と思うようなことばかりで(未だにそうですが)、その「大人の余裕」のようなものが、当時の僕には、とんでもなく格好良く思えた訳です。

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世界最高峰のバンドネオン奏者ネストル・マルコーニさんと、別府のお寿司屋さんで。

 

《自分の中のバンドネオンの「限界」が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた》

 

―― マルコーニさんはバンドネオン奏者として以外の活動も顕著ですよね。

三浦さん 作曲家、アレンジャー、楽団指揮者、プロデュース…今も多くのフィールドで活動を展開されています。共演歴を見てもアストル・ピアソラ、マルタ・アルゲリッチ、ヨーヨー・マ、フランク・シナトラなど、多くのジャンルのアーティストと共演しています。僕が他ジャンルとのコラボレーションにも挑戦し、自分で編曲を手掛けるようになったのも、マルチな彼の影響があるかも知れません。

僕が彼と出逢ったのは2006年のこと。ずっと憧れていたバンドネオンの巨匠が、九州・別府で行われる「別府アルゲリッチ音楽祭」に出演するため来日するという情報を得たのです。当時の僕は高校に入学したてでしたが、ちょうど開催のタイミングが高校1年生の春休み。このタイミングに感謝しつつ、九州まで出向くことにしたのでした。

 

―― 始めて目の前で聴いた、“巨匠“の演奏。いかがでしたか。

三浦さん それは今振り返っても「打ちのめされた…」というような表現が決して大袈裟ではないほど、衝撃的なものでした。今まで自分が思い描いてきたバンドネオンの「限界」が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた、とでも言えばいいのか…。

 

次回につづく

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