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【木ノ下裕一の能楽てらす】vol.1「能楽トーク 山階彌右衛門×木ノ下裕一」<後編>

木ノ下さん推し『屋島』×山階さん推し『班女』
互いの「好きポイント」を徹底解説!

【木ノ下裕一の能楽てらす】vol.1「能楽トーク 山階彌右衛門×木ノ下裕一」<後編>の画像

後半では木ノ下さん、山階さんそれぞれが「イチ推し」の世阿弥作品を紹介。その2作品のハイライトを山階さんが仕舞で披露するというぜいたくな内容になりました。

(2025年6月21日 取材・文/本間千英子 撮影/松永由佳)

『屋島』の義経はなぜ幽霊になった?
戦の最中の高揚感も織り込まれた物語

 名作が多すぎて迷いましたが、と前置きして木ノ下さんが挙げたのは『屋島(やしま)』。これは、旅の僧たちが源平合戦の古戦場である讃岐の国の屋島(現在の香川県高松市)を訪れ、出会った年老いた漁師が実は義経の亡霊であり、僧の夢の中で鎧兜をまとい、屋島の合戦での出来事を語るという物語です。

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 山階さんが『屋島』で後シテの義経を演じた写真を見ながら作品を解説。装束は上下とも硬い鎧を表現した袷(あわせ)。扇には松と太陽が昇る様が描かれ、義経の軍勢が日の出の勢いであることを表しています。面(おもて)は鎌倉時代の武将・荏柄平太胤長(えがらのへいたたねなが)の顔をモデルにしたという「平太(へいた)」。「モデルが小男だったと言われているので小顔の面。日焼けして顎がしっかりしているのは、戦で山中を駆け回り、肉を食べていたからだろうと私は思っています」と山階さん。

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 『屋島』のように武士の亡霊がシテになる作品を「修羅物」と言い、題材が勝ち戦の武将だと「勝修羅(かちしゅら)」、負け戦の武将だと「負修羅(まけしゅら)」にカテゴライズされます。勝修羅は他に『田村』『箙(えびら)』を合わせ3曲のみで「勝修羅三番」とも言われます。「負修羅」は20曲以上あります。

 木ノ下さんが『屋島』を推す一番のポイントは「義経がなぜ幽霊になっているのかよく分からないところ」。成仏できない理由について、世阿弥は「瞋恚(しんい)に引かるゝ妄執にて。」と書いています。「瞋恚とは仏様の怒り、苦しみ。それゆえに浮かばれないと当人が言いますが、具体的に何なのか分からないから興味が尽きない。しかもその後に義経は「屋島の戦は忘れ得ぬ」と語り、勇壮果敢にまた戦う。世阿弥はこの『屋島』で戦いの最中に味わう、ある種の高揚感も描いているのでは」と木ノ下さんは分析します。

夢の中の戦が、目の前の浜の風景に重なる
義経の行く末知れずで結末がないのも特徴!

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 『屋島』の後半の詞章に「壇の浦」という地名が出てきます。
源平合戦で壇の浦の戦いと言えば現在の山口県下関市の関門海峡で、香川県からだいぶ西です。屋島の合戦なのになぜ?と思うのですが。それとも屋島の中に壇の浦という所があるのでしょうか?」と木ノ下さんが問いかけると、山階さんは「どちらでもいいんです。お稽古では『パーっと遠くに意識を持って謡いなさい』と指導されます」。漠然とした戦の景色が見えてくればどこでもよい、限定せずに物語の世界を広げていくのは「ものすごく能らしい」と木ノ下さんは納得の表情。

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 木ノ下さんはまた、物語のラストで「敵と見えていたのはカモメだった、鬨の声に聞こえていたのは風の音だったと、戦の様子が自然の景色に畳みかけるように還元していくのが素晴らしい」と話します。「世阿弥の作った能の優れた部分と言えます。普通の修羅物と違い、シテがその後にどうなったのか分からず、結末がないのも特徴です」と山階さん。

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 その後は山階さんが『屋島』の後場、義経の亡霊が過去の壇の浦の戦を思い起こし、現世に戻って、戦の様子を目の前に広がる屋島の景色に重ね合わせるまでを仕舞で披露。迫力ある謡の声と、力強い、さっそうとした舞は圧巻。参加者から大きな拍手が送られました。

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 この仕舞後は、再びスライドで世阿弥の負修羅物『清経(きよつね)』を紹介。合戦中に入水自殺をした平清経の部下が、清経の死をその妻に報告に訪れます。するとその夜の妻の夢に清経が現れ、死に至るまでを語るストーリーです。

 装束は「長絹」で仕立ては薄い絽(ろ)。波と日没が描かれた優雅な扇を用い、能面は苦悩の表情を浮かべた「中将(ちゅうじょう)」です。山階さんは「装束も扇も戦向きではないし、能面も『屋島』での「平太」と違って青白く、顎が発達していません。清経の弱々しさを全体で表しています」。

ヒロインは恋しい人を思い「物狂い」になる遊女!
人間味あふれるしぐさが切なくも色っぽい『班女』

  続いては山階さんが「芝居をする上で好きな演目」という『班女(はんじょ)』の紹介です。

 ヒロインであるシテは美濃の国(現在の岐阜県)野上の宿の遊女・花子(はなこ)。京都から東国に出向く途中、野上の宿に立ち寄った吉田少将(よしだのしょうしょう)と恋に落ち、別れる前に互いの扇を交換し、将来を約束します。

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 吉田少将を思い、扇を眺めてばかりで勤めに出なくなった花子は、中国の故事に出てくる、皇帝の寵愛を失った自分を秋に捨てられる夏の扇に例えた妃・班婕妤(はんしょうよ)にちなみ「班女」と呼ばれるようになります。勤め先を追い出された花子は狂女=物狂いの女性になり旅に出ますが、一方で吉田少将は入れ違いに野上の宿を訪れ、花子がいないと知り落胆。京都に戻りますが、糺ノ森(ただすのもり)の神社に参詣した際、そこにたどり着いていた花子と再会、喜び合います。夢幻能ではなく、場所と時間が次々に変化して進む劇的な現在能です。

 「途中、花子が寝室の窓を開け、恋しい吉田少将は今どうしているんだろう、と扇を手にして欄干越しに月を眺める曲舞(くせまい)が、通常の能ではしない、人間味あふれた演技なんですね。お能関係では嫌がる人も多くいますが、私は面白いんです」と山階さんが推す理由を明かします。

装束を右肩だけ脱ぐ「脱下(ぬぎさげ)」は物狂いの表現!
身体バランスが取りにくい能楽師泣かせの着方

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 話は『班女』の続編と言われる『隅田川』にも広がりました。『隅田川』は世阿弥の息子・元雅の作。花子と吉田少将の息子が人買いに誘拐されてしまい、花子はまたしても狂女になって息子を探し、江戸にいるらしいと聞いて隅田川まで行くと息子の墓があり、その死を知るという悲劇です。

 『班女』『隅田川』のような「物狂いの能が一番面白い」と世阿弥は書き残しています。山階さんは「物狂いは普通の能と舞いっぷりがまるっきり違う。能の舞には連続性があるのが通常ですが、物狂いの舞は違う方面にハッと意識が飛んだり、パッと別の方向を見たりと、型を切らないといけないんです」。
 『班女』の花子が手に持つ笹の葉は、手を動かすたびに揺れて心が不安定な状態を表し、笹に付いている御幣(神事などで用いられる紙)が「単なる精神錯乱ではない、神がかり的なところもあるという意味合いを持っている」と山階さん。

 装束は紅白柄の「唐織(からおり)」。菊と、芝草に露の球が付いた「露芝(つゆしば)」文様があしらわれています。「秋という季節と『吉田少将は自分に飽きたのか』という思い、露には悲しみの涙がリンクしている。世阿弥は風景や草花と心情をつなげますね」と木ノ下さん。
 後シテでは唐織を右肩だけ脱ぐ「脱下(ぬぎさげ)」にして物狂いのさまを表現するところが大きな特徴。装束の重みが体の左右で違うので体幹バランスが取りにくく、シテには高い技術が求められます。

裏表のある扇子と人の心を重ねて舞う
「ピュアすぎる女性ほど演じにくいものはない」

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 締めくくりは、山階さんによる仕舞『班女』。扇子を手に、花子が吉田の少将への思いを切々と語りながら感情を高ぶらせ、最後に扇子を開いて「扇子のように人の心には裏と表がある」と悟ります。『屋島』とは全く違う、やわらかな雰囲気の中にも強い芯が感じられる舞を、参加者は真剣に見守りました。

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 木ノ下さんは「今の仕舞で花子はただ弱いのではなく、自分でちゃんと物を考え、決着をつけられる主体性のある強い女性と改めて感じて好きになりました」。『班女』については、「花子は純粋なんです。世阿弥作『井筒(いづつ)』の女性もそうですが、ひたすら信じる気持ちは表現しがたい。難しいです」と語る山階さんに、客席から拍手が沸き起こりました。

 国内外で活躍する山階さんの仕舞を2曲も鑑賞し、演目や装束、能面について多くの知識が得られた「能楽てらす」初回。充実した内容に「能は今までほとんど知らなかったが、とても面白かった。次回もぜひ参加したいです」と参加者の声が聞かれました。

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