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<前編>「能舞台はどのお家にもあると思っていました」能楽師・塩津圭介さんインタビュー

10周年を迎える「能楽師に聞く 能の楽しみ」をお祝いする2月23日(木・祝)開催『リクエスト能「葵上(あおいのうえ)』。過去の講座で紹介した曲から皆様の投票で選ばれた「葵上(あおいのうえ)」を上演します。2013年以来、りゅーとぴあの能楽講座 「能楽師に聞く 能の楽しみ」に出演し、今回のシテ(能の主役)を務める塩津圭介さんに、「能楽師になった過去」&「りゅーとぴあとの10年間」を振り返りつつ、上演に向けての意気込みを伺ったロングインタビューを前編・後編に分けてお届けします!

<前編>「能舞台はどのお家にもあると思っていました」能楽師・塩津圭介さんインタビューの画像

塩津 圭介(しおつ けいすけ)
能楽シテ方喜多流。1984年生、東京都出身。喜多流能楽師・塩津哲生の長男。3歳のときに独吟「老松」にて初舞台。父に師事。2011年「猩々乱」、2015年「道成寺」、2018年「石橋(赤獅子)」を披く。APU立命館アジア太平洋大学非常勤講師。2004年に若者の若者による能「若者能」をたちあげ毎年公演を開催している。

お客様が選んだお能、真剣に取り組みます

―講座10周年記念の「リクエスト能」が間もなく開催されます。

この10年、講座のお客様に育てていただいた感じがすごくあります。「リクエスト能」も面白い企画だと思いますし、私たち講座出演者とりゅーとぴあさんとの信頼関係があったからこそ、ご提案いただけたのだと光栄に思っています。講座でのリクエストを通じてお客様ともやりとりしながら、一緒に公演を作っていけるというのは、我々の講座を最大限に活かしていただいた、とても良い企画だと思います。

能楽師というのは、純粋にこれが観てみたいっていう思いでリクエストをいただくことって、あまりないので新鮮です。期待を裏切らないように舞台をつとめないとと思いました。

 

―リクエスト募集の時に、塩津さんは「お殿様気分で選んでください」と紹介してくださいました。

その昔はきっと、能楽師はお殿様から「これで舞ってみろ」と装束を拝領し、能を舞っていたと思います。そのような「殿様気分」になれるというお客様目線で企画された「リクエスト能」は、新しいようにみえて、温故知新のように古にかえっていると思います。そういうの私好きなんです、すごく。

<前編>「能舞台はどのお家にもあると思っていました」能楽師・塩津圭介さんインタビューの画像

―ありがとうございます。それでは塩津さん自身についてもお伺いしたいと思います。お父様の塩津哲生さん、お祖父様も能楽師でいらっしゃいますが、どのような子供時代だったのでしょうか。

初舞台が3歳だったのですが、喜多流では子方(能で子どもが演じる役)が非常に少ない時期があり、全国各地でたくさん子方をさせていただきました。幼いながらも「自分は小学生だけど仕事があるんだ」と誇らしく思っていまして、それも父や家族の導き方のおかげだと思っています。

じっと座っている役では「足が痛かった!辛かった!」と思いましたが、二度とやりたくないとは思わなかったです。一方で、「すっごいお舞台が好き!」というようなタイプでもありませんでした。誇らしいと言いますか、「えっへん」と生意気だったと思います(笑)。

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塩津圭介さん、3歳の初舞台の様子

稽古場の1階、日常生活の2階

―能楽師になろうと思う以前に子方のお舞台があったのですね。

そうですね。私の場合は自宅の1階に稽古場(能舞台)があったので、父からは「1階に下りたらお父さんではなくて先生と呼びなさい」と言われていました。稽古が終わると、「ありがとうございました、お父さん遊ぼう!」と2階に上がって遊んだりご飯を食べたりする生活でしたので、幼少期は能楽師であることについて意識していませんでした。

笑い話になりますが、誰の家にも能舞台があると思っていました(笑)。それくらい能舞台の存在が当たり前でしたね。お友達の家に遊びに行くようになって、「え、舞台ないの?」って。どうやら能舞台があるのが普通ではないということに気付いた子ども時代でしたね。

<前編>「能舞台はどのお家にもあると思っていました」能楽師・塩津圭介さんインタビューの画像
幼少期から稽古場として利用している能舞台

 

―改めて能楽師を志されたきっかけは?

いまでも鮮明に覚えています。高校に進学する前の春休みに、父から「能をやるんだったら教えてやるし、やらないんだったら一切かかわらなくていい」と言われました。父は中学2年のときに単身上京して東京に住み込みの内弟子に入っているので、能楽の道に進むのかどうかあやふやな私にしびれを切らしたのだと思います。父に「すぐにとは言わないけど夏ぐらいまでによく考えなさい」と言われ、どうしたものかなと思ったのですが、そのとき大きな2つのきっかけが中学生の私の背を押してくれました。

 

後編につづく―

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