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馬場あき子さん、白洲正子さんに背中を押されて能楽師の道に戻ってきました。

 

友枝 真也(ともえだ しんや)さん(シテ方喜多流能楽師)

馬場あき子さん、白洲正子さんに背中を押されて能楽師の道に戻ってきました。の画像

りゅーとぴあ能楽堂の鏡板を外し中庭の竹林を背景に、
雪にちなんだ能を上演する「雪見能」
能のシテ(主役)をつとめる友枝真也さんにお話を伺いました。

 

―りゅーとぴあ能楽堂の印象を教えてください。

友枝さん いいお舞台だなというのがまず一つですね。役者からすると使い勝手がいい舞台ですね。楽屋と舞台までに段差がない。東京だと段差が無い能楽堂は結構少ないんです。楽屋から段差が無く舞台まで出られるのは、とてもありがたいです。
また、実際に舞台に立って演者としても、いい舞台という印象です。りゅーとぴあ能楽堂くらいの規模だと客席の隅々まで目が届く気がします。

 

―2020年は新型ウイルスで大変な年でしたが、能楽界はいかがだったでしょうか。

友枝さん やっぱり影響は相当大きいです。2020年4月・5月は結局舞台がほとんどなくなりました。今はだいぶ公演を開催できるようになってきましたが、自分が主催の会では事前講座をZoomで開催したりYouTubeで講座を動画で配信したり、試行錯誤しています。

 

―友枝家は肥後・細川家のお抱えの能役者というお家で、祖父は名人・故友枝喜久夫(きくお)さんですね。

友枝さん 祖父の晩年、一時一緒に住んでいたんですよ。祖父の家に稽古場があり、祖父は舞台に立たなくなってからも毎日稽古していました。僕が会社勤めしていた時なので、23~4歳の頃だと思います。

 馬場あき子さん、白洲正子さんに背中を押されて能楽師の道に戻ってきました。の画像

―会社員だったのですか?

友枝さん 小さな時からお稽古はずっとしていましたが、大学2年の時から5年間くらい稽古も舞台もやめてしまったんです。能楽の世界への疑問や、大学で様々な人と出会い留学も経験して、他の世界の魅力を知りたくなったからですかね。出版社に入り編集の仕事をしていました。

 

―再び能楽師を志したきっかけは?

友枝さん それはね、馬場さんと白洲さん。

 

―あの馬場あき子さんと白洲正子さんですか?

友枝さん 馬場さんは喜多流で能のお稽古をされていたので、小さな頃からかわいがってもらっていました。その頃は、なんか偉い人らしいよ、くらいだったのですが(笑)。

僕が出版社に入って雑誌でお能の特集を企画した時に、馬場先生に原稿を書いていただいたんです。それからしばらく経って馬場さんから呼び出されて、「この前の特集読んだけど」っておっしゃられまして。「何かまずかったですかね。」って伺ったら、いやいやそうじゃないと。「あなたお能好きでしょ。」と聞かれたので、「そりゃまあ好きですよ。」と答えました。
馬場さんは、能楽界は人一人育てるのに凄く時間がかかる。ここまで育てた人材を手放すのは惜しいと考えられたようです。僕が手掛けた特集をご覧になって、戻って来るかなと思ってくれたらしいんです。そういう意味では馬場さんも僕のことをすごく見てくださっていたんですね。

その後、白洲正子さんのところにもご相談に伺いました。白洲さんは祖父の関係で親しくさせていただいていて。白洲さんが「あなた(能を)やんなさいよ。むいてるわよ。」と言ってくださったんです。

もちろん一番大きな決め手は、うちの伯父(人間国宝の友枝昭世(あきよ)師)が、「もう一度能楽師の修業をやるなら責任を持つ」と言ってくれたことですね。それで、先代の家元のところで修行を再開しました。

 

 

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―さて、2月7日(土)に開催される「雪見能」についてお聞きします。上演される能「葛城(かずらき)」の見どころを教えてください。

友枝さん 雪をテーマに選んだ能ですが、どうして葛城(今の奈良県)で雪なのか。古今集に「しもと結ふ 葛城山に降る雪は 間なく時なく 思ほゆるかな」という歌があるんです。葛城山には雪が降るよという歌で、当時の京の人々はそのように認識していたらしいんですね。だから葛城山を舞台にした時には、「そこには雪がないと」という先入観がいい意味であるんですよ。

 

―人々のイメージから生まれたお能なんですね。

友枝さん そうですね。あと、「葛城」では女神の葛城明神が登場するのですが、実際の葛城の明神は女神ではないんです。

 

―なぜ美しい女神が登場するようになったのでしょう。

友枝さん もちろん演出的な意味もありますが、古くからの宗教観も絡まっていると思います。様々な伝説をうまい具合にほんのり包んで、当時の京の人々の葛城山のイメージを全部すくってくれている能ですね。

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―「雪見能」では竹林を背景に上演ですが、普段とは異なる思いはありますか?

友枝さん そうですね。もちろん雪が降ってくれればいいなあというのはありますね。演者としては、普段とは違う気持ちになることはありませんが、こういうふうに中庭が見える舞台は他にないと思いますので、ぜひご覧いただきたいですね。

 

―雪に舞う女神を楽しみにしております。最後に新潟のお客様にメッセージをお願いします。

友枝さん お客様に楽しんでいただきたいと準備をしています。舞台上のシテ方・ワキ方・囃子方合わせて約20人の能楽師たちによる、きっちり稽古して、がちがちの集中力をだしきっての真剣勝負をご覧いただければと思います。

 

(このインタビューは2020年12月13日に行いました。)

 

 

友枝 真也(ともえだ しんや)

シテ方喜多流能楽師。1969年生。喜多流能楽師・故友枝喜久夫の孫。喜多流十五世宗家・故喜多実に入門、友枝昭世に師事。1972年仕舞「月宮殿」にて初舞台、1984年「経政」にて初シテ、2004年「猩々乱」、2008年「道成寺」、2011年「石橋(赤獅子)」を披く。重要無形文化財総合認定(能楽)。「洩花之能」主宰。

祖父は白洲正子も愛した名人・故友枝喜久夫、伯父は喜多流宗家預りで人間国宝の友枝昭世(あきよ)。友枝家は肥後熊本、加藤家・細川家のお抱え能役者の本座であった。

友枝真也さんは2006年の能楽基礎講座スペシャル版「馬場あき子 能楽の楽しみ」より、毎年りゅーとぴあ能楽堂に出演。2013年にスタートした能楽基礎講座「若手能楽師に聞く 能の楽しみ」にはメイン出演者として活躍。

 

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